ワーシップ

2026/3/8(日)「自分の力でイエスを信じることができますか?」Ⅰコリント12:3b 庄司牧師

2026年3月8日 問39 あなたは自分で罪を悔い改め、イエスさまを信じることができますか。
「自分の力でイエスを信じることができますか?」
答 いいえ。聖霊が私たちの心にはたらいて、イエスさまを信じるようにしてくださるのです。
招詞Ⅰ ヨハネ4:3イエスを告白しない霊はみな、神からのものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていましたが、今すでに世に来ているのです。                                       
今週のみ言葉 コリント人への手紙第一12章3節b
聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。          
月の第二日曜日です。いつものように子ども信仰問答からお話をしていきます。本日はコリントにある(今のギリシャ)に向けて書かれた手紙です。著者はかつてキリスト者を迫害していたパウロです。彼はイエスを信じてから大きく変えられました。パウロは他の手紙で、自分のことを  「キリスト・イエスのしもべ、パウロ」と紹介していることからも分かります。イエスを自分の主人、自分はそのしもべ、奴隷であると認識している挨拶です。本日の聖書箇所も、主人としもべの関係が記されています。それは「イエスは主」と記されているからです。イエスを主と、自分の主人と呼ぶことが出来るのは、パウロを始めとして、イエスを信じる人々、つまり私たちも含まれます。本日の信仰問答の質問には、「自分で罪を悔い改め、イエスさまを信じることができますか。」とありました。悔い改めとは方向転換です。何からの方向転換と言えば、罪からの方向転換。 罪とは、言い換えれば自分中心です。神を無視し、時に神に敵対し、ただ自分だけに焦点を合わせて生きることです。自分の思い、願い、欲求など、自分のしたいことだけをする、自分が人生の主であるという生き方です。そこからの方向転換ですから、自分中心に生き、神から離れて生きているという罪に背を向け、イエスの方に向き直る。目を向ける。イエスの方に焦点を合わせていく姿勢、態度、そして生き方が、罪を悔い改める者に起こる、方向転換です。従って悔い改めとは、自分の罪を認め、イエスの愛と救いを受け入れ、新しい生き方へと踏み出す、深い決心、決意が込められていることばです。この宣言を心からするには、つまりイエスを自分の主と心から信じて告白することは、普通人間にはできません。それは、人間は自分が主、主人であるという生き方をしているからです。自分の生きたいように生きる。私たち生まれつきの人間は、そのような権利があり、そのような自由があると思っています。それは自分という存在が自分のものであり、自分自身に所属するものであると思っているからです。これは自分が「生きている」という状態です。しかしイエスが主という生き方は、主権が神に移ります。自分のいのちが、人生が、権利が、自由が…、神にある。自分の人生の主権を神が持っていると信じ、委ねて行く生き方です。ですからその生き方は、自分が生きるのではなく、神に、「生かされている」と言う歩みになっていきます。 人間はアダムとエバから続く罪を持っていますから、自分の力でそのような変化を生み出すことはできません。その力と転換をもたらすのはただ、神のみ、聖霊の力と導きです。また「イエスは主です」と言う告白は、イエスの33年間の公生涯において成された御業が、「私のためであった」と信じる告白でもあります。イエスが罪の身代わりに十字架で死なれた、それは私のためであった。そしてイエスが死者の中から甦られたのは、復活のいのちを私に与えるためであった。そのように信じ、受け入れるという信仰告白でもあります。 ですからイエスを主と告白する者は、すなわちイエスを自分の救い主であると信じ、イエスに従っていきたいと願う者は、おのずと生き方が変わっていきます。 これまで自分が自分の人生の主人として生きてきたことを止め、イエスの教えに従い、イエスが自分の人生を導いて下さると信じ、委ねていく人生となっていきます。従って「イエスは主です」という告白は、自らの全生活、全人生をイエスに委ねる、私たちキリスト者の根本的かつ最も短い宣言であり、信仰告白であると言えるでしょう。そしてこれは私たちの努力や行いにはよらず、神からのギフト、プレゼントであるということを、パウロは12章1節で述べています。さて、兄弟たち。御霊の賜物については、私はあなたがたに知らずにいてほしくありません。つまりイエスを主と告白できるのは、御霊、聖霊の働きであるのと同時に、これは私たちにとって賜物であるということです。賜物とは「贈り物」を意味します。受けるに値しない者に与えられる、神の一方的な好意です。神が、すなわちイエス・キリストが私たち人間に御霊を贈られたのは、私たちが御霊を通して救われて欲しいという願いからでもありますが、他にも理由、目的があります。そのことが7節に記されています。
皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。」 本日見ている12章には、具体的な御霊の現れが記されています。 ある人には信仰、癒し、預言などが、御霊の実際的な現れとして記されています。 コリントの教会は賜物が豊かに与えられている教会であったと、パウロはこの手紙に記しています。一方同時に、これらの賜物を誇っていた人々がいました。その結果、コリント教会に分裂、分派などといった問題が起こりました。コリント人への手紙は、そのような問題を起こしている人々に宛てた手紙でもあります。しかし本来賜物は、その賜物が与えられた人が自分を誇るためのものではなく、7節に記されているように、皆の益となるためだということを、私たちも心に留めておく必要があります。 これは霊的な賜物に限りません。その人の持っている能力、持ち物、経験、生まれから人格や性格などの違いも、皆が益となるためだと言うことです。
つまりキリストの体である教会が多様性に富み、豊かで、キリストの素晴らしさが表されるために、私たちはそれぞれが異なる能力や賜物が与えられ、教会に置かれている、合わされていると言うことです。そして教会が励まされ、徳が高められ、キリストの体が一致して建て上げられるためには、私たち一人一人が必要です。そのために神は、キリストの体である教会が建て上げられるために、私たち一人一人を招いて下さっています。 それゆえここにおられるお一人一人は、イエスに招かれ、イエスの体、可児キリスト教会を建て上げるために必要なお一人一人です。
この後、益田兄弟姉妹の転入会式が行われます。お二人にそれぞれ証をして頂きますが、この教会に来られるきっかけがいくつかありました。それは御霊、聖霊の導きであっただけでなく、イエスがお二人を-益田さん家族を-可児キリスト教会を建て上げるために招いて下さったと言うことができます。 感謝です。 キリストの体である可児キリスト教会を、これからも皆さんと共に、建て上げていきたいと願っています。
祈ります(聖霊、信仰、み言葉、イエスの十字架、復活、教会への招き、神のご計画)
あなたは自分で罪を悔い改め、イエスさまを信じることができますか。            
答 いいえ。聖霊が私たちの心にはたらいて、イエスさまを信じるようにしてくださるのです。
今週のみ言葉 コリント人への手紙第一12章3節b
聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。 

「収穫の主」

2024年7月14日(日) 主日礼拝

聖書:マタイの福音書 9章35~38節

説教:庄司牧師

賛美♪
 恵みの高き嶺  新聖歌 339番

応答の賛美♪
 主の招く声が  讃美歌21 516番

ワーシップ♪
 新しい命 (作詞作曲 中山有太)

頌栄🌈
 たたえよ、主の民  讃美歌21 24番
 

🌈聖書引用
 新日本聖書刊行会 聖書 新改訳2017 (新改訳聖書センター)