問42 第一の戒めは何ですか。
答「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」ということです。(出エジプト記 20章3節)
聖書 “あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であり、ほかに神はいないことを、あなたが知るためであった。” 申命記 4章35節
招詞 申命記7:9 あなたは、あなたの神、主だけが神であることをよく知らなければならない。主は信頼すべき神であり、ご自分を愛し、ご自分の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる。
月の第二日曜日です。本日も子ども信仰問答からお話をしていきます。前回の問41から、モーセの十戒に関することを見ています。 第一の戒めは何ですか?という問いの答えとして、出エジプト記20章3節から引用されています。「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」この問いに対してさらに詳しく語られているのが申命記4:35節です。「あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であり、ほかに神はいないことを、あなたが知るためであった。」
神に特別に選ばれた民であるイスラエル民族が、奴隷とされていたエジプトからどのように脱出し、どのように約束の地へと旅をして行くかという、出エジプト記の後の出来事が記されているのが、この申命記です。従って本日見て行く申命記4:35節は、イスラエル民族がエジプトを脱出した時にあった主なる神の介入や奇蹟、また荒野における主の守りと導きなど、出エジプト記に記されている、イスラエル民族の経験が元になっています。そして彼らイスラエルの経験した全ては、「主だけが神であり、ほかに神はいないということを知るための、分かるための、理解するための経験になった。」と、モーセは本日の35節で彼ら、イスラエルに告げています。
出エジプト記に描写されているイスラエル民族の歩みは、決して主なる神の御心に沿ったものではありませんでした。 彼らイスラエルは荒野において食べ物や飲み物のことで主に不平を言い、主を試み、また、主が選び、立てたリーダーであるモーセに反逆することによって、主なる神に逆らって来ました。しかし彼らの主なる神に対する不信仰、また不従順は、彼らに大きな代償を支払わせることになりました。
エジプトを脱出したイスラエルが向かった約束の地、カナンまでの直線距離は、出エジプトした時の場所、ラメセスから約200km〜300 kmです。敵を避けてカナンに向かって旅をしていったことから、実際はもっと長い距離を移動したのは事実ですが、本来であれば10日から数週間、1か月もあれば到着できる距離です。 しかし彼らは40年という長い歳月をかけて荒野をさまよいました。それは偶像礼拝や神への反逆など、彼らの不信仰、不従順に対する神からの罰でした。しかしそれでも主は、イスラエル民族の父祖となるアブラハム、その子孫であるイサク、ヤコブに約束されたように、今のパレスチナにあたる約束の地、カナンに彼らを導いて行かれます。 神は荒野での40年の間、彼らをカナンに導くために、敵から彼らを守り、マナをはじめとした、生きるのに必要な食べ物や飲み水などを与えて来られました。彼らが不信仰、不従順であっても、彼らを見捨てることはありませんでした。神は愛と慈しみに満ちておられるだけでなく、約束に誠実で、また忠実なお方であるということが分かります。このような神の愛と守りの中、彼らは40年をかけて、川を隔てたカナンの東側、すなわちヨルダン川の東にやって来ました。 イスラエル民族は、これからいよいよヨルダン川を渡ってカナンに地に入って行きますが、その前にモーセはもう一度、神が民と結ばれた契約を、改めて彼らに思い起こさせようとしています。申命記の「申」という文字は、もう一度、とか、再びという意味です。文字通りモーセは、神がイスラエルに与えられた生きる上での指針、ガイドラインである教え、掟、すなわち律法を、もう一度イスラエルに語り聞かせた、それが申命記です。
約束の地、カナンには先住民族がいます。また、彼ら先住民族が信じていた偽りの神々の存在もありました。敵を恐れず、また偽りの神々を彼らのように拝む、つまり偶像礼拝などから守られるためには、主だけが神であり、ほかに神はいないということを、カナンに入る前にもう一度イスラエル民族は確認する必要がありました。そのためモーセは、彼らに今まであった、そしてこれからも必ずあるであろう主の守りと導き、主なる神に従う者にある祝福を、カナンに入る前に思い出させようとしています。
そして本日の箇所、申命記4:35節です。
あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であり、ほかに神はいないことを、あなたが知るためであった。「あなたにこのことが示されたのは」と記されています。これらのこととは、彼らイスラエル民族が40年にわたって体験して来た主の守り、導き、祝福です。神が約束されたカナンの地に、これから入っていこうとしている世代は、40年の荒野の放浪の中で不信仰ゆえに死に絶えてしまった人々の子ども、孫にあたる第二世代、第三世代です。彼らは神がモーセを通して偉大な奇蹟を起こされ、奴隷とされていたエジプトから脱出させて下さったこと。紅海が分かれてイスラエルはその中を進み、エジプト軍は飲み込まれてしまったこと。また荒野でのパン、すなわちマナが毎日降った奇蹟など、若い世代は殆ど経験していません。例え経験していたとしても、それは子どもの時であり、その記憶は定かではなかったでしょう。しかし彼ら若い世代は、両親などから、それらの様子を聞く機会がありました。彼らが語り聞かされて来たことは、神が教えられた掟と定めを守ることによって与えられる祝福と助け、逆に守られない時に起こる不幸、裁き、などだったでしょう。 そのようなイスラエル民族の歩みですが、荒野における主の守りと祝福が強調されている描写が2章にあります。2:7節です。2:7 事実、あなたの神、主は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。あなたの神、主は、この四十年の間あなたとともにおられ、あなたは、何一つ欠けたものはなかった。イスラエルの荒野の40年の歩みにおける、主の守りと祝福の描写です。その祝福と恵み、主なる神の導きをあなたがた若い世代、次の世代のあなたたちは受け継いでいるのだ。その受け継いだ神の恵みと祝福を忘れず、生涯心から離すことなく歩みなさいとモーセは民に語りかけています。
さきほど、申命記4章は偶像礼拝に巻き込まれる危険性が記されているとお話しました。そしてこの4章には、偶像礼拝を憎悪する主なる神のことが、「ねたむ神」と表現されています。24節です。「あなたの神、主は焼き尽くす火、ねたみの神である。」前の訳では「ねたむ神だからである」と、記されています。主なる神は、主以外の偶像や、太陽、月、星などの被造物をもしイスラエルが拝むことがあれば、つまり偶像礼拝に対しては、焼き尽くす火のように怒りを燃え上がらせ、激しいねたみを覚えられる、ということです。 怒るとかねたむという感情は人間らしく、神にはあまり相応しくないように思いますが、それは主なる神がイスラエルのことを、ひいては私たち一人一人の人間を、本気で愛しておられることのしるしです。
本当に愛しているからこそ、自分の愛する者が、人間が勝手に作り出した神々や、神が造られた被造物を神として礼拝する、心奪われることに対して怒りやねたみを覚えられるということです。 新共同訳聖書、前の版の訳では、この「ねたみの神」または「ねたむ神」という表現に代わって、「熱情の神」と訳しています。神がイスラエルを、ひいては人類一人一人を、熱情をもって、情熱をもって本気で愛して下さっていることが伝わって来る翻訳です。そして主なる神は、イスラエル民族だけでなく、私たち一人一人をねたむほど愛されておられます。このイスラエル民族を導かれた神、ヤハウェなる神を、私たちは父なる神と呼んでいます。ねたむ神、私たちに熱情をもって接して下さる神は、私たちの信じている神と同じ神です。この主なる神、父なる神が、私たちをねたむほど愛するがゆえに、他の神々の下に行って欲しくない、従って欲しくない、そして主なる神の下で本当のいのちを持って生きて欲しいという願い、思い、熱情から、愛する一人子を私たちに与えるという計画をお立てになりました。そしてその計画を実践して下さったのが、私たちの主、イエス・キリストです。このイエスもまた、羊飼いのない羊のように、神を無視し、偶像に向かい、生きる意味や目的、神の愛を知らずに倒れている人々を見て、心から、はらわたがよじれるほどに憐れみを現わして下さる神です。どれほどの憐れみか。どれほどの愛か。その結晶が十字架であり、十字架に表されています。
かつてイスラエル民族が奴隷とされていたエジプトは、私たちが現在生きている世界、そして私たち人間の罪を象徴している世界です。エジプトの王、パロは、ただの人間でしたが、神と見なされ、自分も神のように振舞っていました。また、エジプトでは動物や天体などが神々となり、偶像礼拝が行われていました。権力を持つ者が神となり、また、人々も神以外のものを拝んでいる。
現代を生きる私たちの世界と全く変わりがありません。 しかしエジプトはその高慢なゆえに、また神にそむき、敵対するという罪ゆえに、神に裁かれました。 すなわち、神を無視し、神に背を向けて自分が生きたいように生きる先には、裁きが待っているということです。そしてそれは、現代を生きる私たちも同じです。
裁きとは、神から永遠に引き離されるという滅びです。 しかしこの罪、滅び、裁き、そこから来る死から脱出させて頂けたのが、私たちキリスト者、クリスチャンです。それはただ、イエス・キリストを救い主として信じた結果です。私たちが救われるために何か善行を積んだり、何か努力したという訳ではありません。それはただ、イエス・キリストにある恵みです。そして私たちはこの恵みのゆえに、エジプトに象徴されるこの罪深い世から、罪深い世界から脱出させて頂けました。そしてそれはただ、イエス・キリスト、私たちの主が成し遂げて下さった十字架の業、十字架を通しての贖いです。イエスが私たちの罪を全て背負って十字架につかれ、死なれ、葬られ、三日目に罪と罪から来る死を滅ぼして復活して下さいました。その復活されたイエスと私たちは一つにされています。前回、新約聖書、ヘブル人への手紙を引用しました。イエス・キリストは復活されて生きているだけでなく、その存在は永遠であるということです。「イエス・キリストは昨日も今日もとこしえに変わることがない」私たちの主、イエス・キリストは今も生きておられます。それも永遠に生きておられます。この永遠に存在されているイエスを信じるということは、永遠のイエスと一つにされることです。それは私たちキリスト者、イエスを主と信じた者が受けるバプテスマ、洗礼に表されています。このバプテスマは、イエスを信じる全ての者が、イエスと一つにされた、また、されていることを象徴的に表すものです。 洗礼の時、洗礼に与る者は、水に沈められます。それはイエスと共に罪に死ぬことの象徴です。そして水から上がることは、イエスが罪を滅ぼして復活されたその復活のいのちと一つにされる、復活のいのちに与ることを象徴しています。
従ってイエスが成し遂げられた罪と罪から来る死への勝利は、私たちイエスを信じる者たちにとっても勝利です。つまりイエスにあって私たちは、罪と、罪から来る死に勝利しています。そして永遠に生きておられるイエスと一つにされるということは、イエスを信じて歩む一人一人が、永遠に生きるということです。そして永遠に生きる歩みは、イエスを主と信じた時からすでに始まっています。イエスと共に永遠を生きる-別の言い方をすれば、それは神の子、神の家族とされることであり、神の国に入ることができるということでもあります。
礼拝の冒頭で、神からの礼拝への招きのことば、証詞を読んで頂きました。 申命記7:9 あなたは、あなたの神、主だけが神であることをよく知らなければならない。主は信頼すべき神であり、ご自分を愛し、ご自分の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる。 私たちキリスト者にとっての主とは、イエス・キリストです。つまりイエスを自分の主人として信頼し、愛し、イエスの命令を率先して、自発的に、また喜んで守り従う者には、恵みの契約が千代、つまり永遠に続くという約束が、すでに旧約聖書に予表され、約束されています。そしてそれは私たちの行いや努力、善行を積むことなどに全く関係がない、ただ、神の、私たちの主、イエス・キリストにある恵みです。
旧約聖書、申命記に描写されている「ねたむ神、すなわち熱情の神」は、新約聖書において、私たちの主、イエス・キリスト、愛と憐みに満ちた神とイコール、同じ神です。私たちはこれからも旧約聖書と新約聖書の繋がりを意識していきたいと思います。そしてこの生きて働いておられる永遠の神と、人格的な交わりを持つことができるようになったこと、そしてこの神を通して救われていることを感謝し、神の愛、愛の神に日々応答していく者でありたいと願います。 祈ります
問42「第一の戒めは何ですか?」 答「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」ということです。(出エジプト記 20章3節)
聖書 “あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であり、ほかに神はいないことを、あなたが知るためであった。” 申命記 4章35節
申命記7:9 あなたは、あなたの神、主だけが神であることをよく知らなければならない。主は信頼すべき神であり、ご自分を愛し、ご自分の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる。
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