2026年11月8日 ヨハネの福音書3:16「もらったの」
一人の男の子が登場しました。彼はいろいろなものをプレゼントしてもらいました。服、ズボン、帽子、指輪。そして最後は誕生日ケーキをもらって喜んでいました。男の子が喜んだのは、そのように、目に見えて、形のあるものでした。また男の子が喜んでいるものの中には、形のないものもありました。それは、散歩に連れて行ってもらったこと。サッカーを教えてもらったこと。肩車をしてもらったこと。本を読んでもらったこと、などです。このような形のないものも、男の子は喜びました。それはこの男の子を大切に、そして愛している家族からしてもらったからでした。それはさきほどの服やズボン、帽子や指輪などといった、目に見えるプレゼントも同じです。男の子がそれらを喜んだのは、プレゼントだからというだけではなく、自分が大切にされている、愛されているということが、プレゼントを通して分かったからです。 今、この男の子が登場する絵本を見ましたが、この男の子が最初にもらった物、それは手紙でした。手紙は紙で出来ている物ですが、手紙にはその手紙を送ってくれた人、相手がいます。その相手の人、ここではおじいちゃん、おばあちゃんがこの男の子を大切にし、また愛しているので手紙を送ってくれました。ですから手紙は物であるのと同時に、男の子を愛しているおじいちゃん、おばあちゃんの心でもあると言えるかもしれません。そして男の子は最後に誕生日ケーキをもらって喜びました。男の子は家族に喜びと感謝を表しただけでなく、神さまにも喜びと感謝を表しました。 なぜ、この男の子は神さまにも喜びを表し、また感謝できたのでしょうか。
それは、自分が神さまに造ってもらったからだと信じているからです。この男の子は、服やズボンや指輪、手紙や誕生日ケーキを喜びました。それは、自分を愛してくれている人たちがプレゼントしてくれたからです。それと同じように、この男の子が神さまに感謝しているのは、神さまが自分を愛して造ってくれた。だから自分という存在が、神さまからもらったもの、と信じているからです。そして男の子は、自分を造ってくれた神さまに愛を込めつつ、祈りを通して感謝しました。聖書の中にも、神さまを信じ、心から神さまを愛している人が出てきます。その中でも有名なのがダビデ王です。ダビデ王は旧約聖書、詩篇139篇13節で、このように歌っています。「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。」
「あなたこそ、つまり神さまが私の内蔵を造り」とありますが、この内臓ということばは、直訳すると腎臓になるそうです。ダビデの時代腎臓は、いのちや感情、心の源として、人間の性格や、人格の中心となる、重要な器官だと考えられていたようです。つまり、人間にとって最も大切な臓器と考えられていました。ダビデ王は、神さまが自分の最も大切な臓器、内臓を造って下さっただけでなく、それらを組み立てられ、心も、体も、そしていのちも与えて下さったと信じました。だからダビデ王は自分を造ってくれた神さまに感謝しているのです。この絵本に登場する男の子と同じだということです。 実際にあったことですが、このようなお話を聞いたことがあります。 十三歳の、あるクリスチャンの少年のお話です。彼は十一歳の時に脳腫瘍と診断されました。それが癌、治すのがとても難しい病気であることが分かって、色々な治療を試みましたが、全てが失敗してしまいました。そして彼が十三歳の時、余命、後半年という宣告を受けました。長く生きることができても、後半年ほどのいのちしか残されていない、ということをお医者さんに言われた、ということです。医者からの宣告を受けてこの少年は、周りの人々にこのように語ったそうです。
「5ヶ月から7ヶ月後に、僕は主、イエスと共に天国にいます。僕が天国に行くことができるということを知っているのは、この辛い時期を乗り越えるのに役立ちます。僕は、神が、僕に起こっていることの責任者だという人たちに、そうではないと言います。病気と死は、僕たちの罪の結果であり、誰にでも影響を与える可能性があります。 それはイエスが、神に定められた時に帰ってくるまでそうなのです。神がこれらのことを止めるべきだという人たちに、僕は「違う」と言いたいと思います—自分のルールとスケジュールを創造主に押し付けるあなたは誰ですか?確かに今僕が経験していることはひどいことですが、天国で永遠に待っているものに比べれば、それは短いものです。たとえ僕の人生が短かったとしても、それは神さまからの贈り物であり、その贈り物に感謝しています。そして僕が召されて主、イエス・キリストの元に行った時、僕は直接イエスさまに感謝したいと思います。」この少年は自分のいのちが神さまからもらったものであると信じているだけでなく、その中身である人生や自分の思い、計画、すべてが神さまからの贈り物だと捉えている少年です—凄いですね―だからこの少年は平安の中で、また喜びの中で、感謝の中で、その短い生涯を全うすることができました。イエスを信じていなければ、死の先にある希望と永遠のいのちを、決して確信することはできなかったでしょう。
見えない神が見える神となってこの地上に、この世界に来て下さった。それがイエス・キリストであり、この少年が、またダビデ王が信じていた神です。そしてこのイエスは、僕たち、私たちをどれほど愛されているかを、十字架によって表し、また示して下さいました。
絵本の最後に聖書のみ言葉をお読みしました。そのことばは、聖書の中の聖書と呼ばれる、ヨハネの福音書3:16節です。もう一度お読みします。神は実にその独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。
神の独り子、つまり神であるイエスがこの世界に来て下さった理由は、僕たち、私たち一人一人が滅びないためだと記されています。滅びとは、愛の神さまから引き離されて、神がいない世界をずっと、永遠に過ごすことです。だからイエスは僕たちを罪から救うために、その罪を全て背負って、十字架で死んで下さいました。そして罪と、罪から来る死に勝利して甦られました。僕たち、私たちも、イエスを信じることによって、死で終わらないいのちが与えられます。もらうことができます。十字架は、僕たち人間一人一人に対するイエスの愛を表しています。
目に見えない神が、目に見える神となってこの世界に来て下さいました。その歩みも、身代わりの十字架も、十字架の死も、そこからの復活も、全て聖書に記されています。 このイエスの愛を、罪の赦しを、イエスを信じる者は永遠に神と過ごすことができるという聖書の約束を、一人一人が知り、信じることができますように。また自分は、自分のいのちは、自分の人生は、神さまからもらったもの、与えられたものであるということを、信じることができますように。 そのもらった、与えられたいのちは、神さまに愛されるためにあります。そのことを一人一人が、心から信じることができますように。そして、神さま、イエスさまの愛を体験することができますように。
お祈りします。
「もらったの」
神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子、イエス・キリストを信じる人がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
一人の男の子が登場しました。彼はいろいろなものをプレゼントしてもらいました。服、ズボン、帽子、指輪。そして最後は誕生日ケーキをもらって喜んでいました。男の子が喜んだのは、そのように、目に見えて、形のあるものでした。また男の子が喜んでいるものの中には、形のないものもありました。それは、散歩に連れて行ってもらったこと。サッカーを教えてもらったこと。肩車をしてもらったこと。本を読んでもらったこと、などです。このような形のないものも、男の子は喜びました。それはこの男の子を大切に、そして愛している家族からしてもらったからでした。それはさきほどの服やズボン、帽子や指輪などといった、目に見えるプレゼントも同じです。男の子がそれらを喜んだのは、プレゼントだからというだけではなく、自分が大切にされている、愛されているということが、プレゼントを通して分かったからです。 今、この男の子が登場する絵本を見ましたが、この男の子が最初にもらった物、それは手紙でした。手紙は紙で出来ている物ですが、手紙にはその手紙を送ってくれた人、相手がいます。その相手の人、ここではおじいちゃん、おばあちゃんがこの男の子を大切にし、また愛しているので手紙を送ってくれました。ですから手紙は物であるのと同時に、男の子を愛しているおじいちゃん、おばあちゃんの心でもあると言えるかもしれません。そして男の子は最後に誕生日ケーキをもらって喜びました。男の子は家族に喜びと感謝を表しただけでなく、神さまにも喜びと感謝を表しました。 なぜ、この男の子は神さまにも喜びを表し、また感謝できたのでしょうか。
それは、自分が神さまに造ってもらったからだと信じているからです。この男の子は、服やズボンや指輪、手紙や誕生日ケーキを喜びました。それは、自分を愛してくれている人たちがプレゼントしてくれたからです。それと同じように、この男の子が神さまに感謝しているのは、神さまが自分を愛して造ってくれた。だから自分という存在が、神さまからもらったもの、と信じているからです。そして男の子は、自分を造ってくれた神さまに愛を込めつつ、祈りを通して感謝しました。聖書の中にも、神さまを信じ、心から神さまを愛している人が出てきます。その中でも有名なのがダビデ王です。ダビデ王は旧約聖書、詩篇139篇13節で、このように歌っています。「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。」
「あなたこそ、つまり神さまが私の内蔵を造り」とありますが、この内臓ということばは、直訳すると腎臓になるそうです。ダビデの時代腎臓は、いのちや感情、心の源として、人間の性格や、人格の中心となる、重要な器官だと考えられていたようです。つまり、人間にとって最も大切な臓器と考えられていました。ダビデ王は、神さまが自分の最も大切な臓器、内臓を造って下さっただけでなく、それらを組み立てられ、心も、体も、そしていのちも与えて下さったと信じました。だからダビデ王は自分を造ってくれた神さまに感謝しているのです。この絵本に登場する男の子と同じだということです。 実際にあったことですが、このようなお話を聞いたことがあります。 十三歳の、あるクリスチャンの少年のお話です。彼は十一歳の時に脳腫瘍と診断されました。それが癌、治すのがとても難しい病気であることが分かって、色々な治療を試みましたが、全てが失敗してしまいました。そして彼が十三歳の時、余命、後半年という宣告を受けました。長く生きることができても、後半年ほどのいのちしか残されていない、ということをお医者さんに言われた、ということです。医者からの宣告を受けてこの少年は、周りの人々にこのように語ったそうです。
「5ヶ月から7ヶ月後に、僕は主、イエスと共に天国にいます。僕が天国に行くことができるということを知っているのは、この辛い時期を乗り越えるのに役立ちます。僕は、神が、僕に起こっていることの責任者だという人たちに、そうではないと言います。病気と死は、僕たちの罪の結果であり、誰にでも影響を与える可能性があります。 それはイエスが、神に定められた時に帰ってくるまでそうなのです。神がこれらのことを止めるべきだという人たちに、僕は「違う」と言いたいと思います—自分のルールとスケジュールを創造主に押し付けるあなたは誰ですか?確かに今僕が経験していることはひどいことですが、天国で永遠に待っているものに比べれば、それは短いものです。たとえ僕の人生が短かったとしても、それは神さまからの贈り物であり、その贈り物に感謝しています。そして僕が召されて主、イエス・キリストの元に行った時、僕は直接イエスさまに感謝したいと思います。」この少年は自分のいのちが神さまからもらったものであると信じているだけでなく、その中身である人生や自分の思い、計画、すべてが神さまからの贈り物だと捉えている少年です—凄いですね―だからこの少年は平安の中で、また喜びの中で、感謝の中で、その短い生涯を全うすることができました。イエスを信じていなければ、死の先にある希望と永遠のいのちを、決して確信することはできなかったでしょう。
見えない神が見える神となってこの地上に、この世界に来て下さった。それがイエス・キリストであり、この少年が、またダビデ王が信じていた神です。そしてこのイエスは、僕たち、私たちをどれほど愛されているかを、十字架によって表し、また示して下さいました。
絵本の最後に聖書のみ言葉をお読みしました。そのことばは、聖書の中の聖書と呼ばれる、ヨハネの福音書3:16節です。もう一度お読みします。神は実にその独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。
神の独り子、つまり神であるイエスがこの世界に来て下さった理由は、僕たち、私たち一人一人が滅びないためだと記されています。滅びとは、愛の神さまから引き離されて、神がいない世界をずっと、永遠に過ごすことです。だからイエスは僕たちを罪から救うために、その罪を全て背負って、十字架で死んで下さいました。そして罪と、罪から来る死に勝利して甦られました。僕たち、私たちも、イエスを信じることによって、死で終わらないいのちが与えられます。もらうことができます。十字架は、僕たち人間一人一人に対するイエスの愛を表しています。
目に見えない神が、目に見える神となってこの世界に来て下さいました。その歩みも、身代わりの十字架も、十字架の死も、そこからの復活も、全て聖書に記されています。 このイエスの愛を、罪の赦しを、イエスを信じる者は永遠に神と過ごすことができるという聖書の約束を、一人一人が知り、信じることができますように。また自分は、自分のいのちは、自分の人生は、神さまからもらったもの、与えられたものであるということを、信じることができますように。 そのもらった、与えられたいのちは、神さまに愛されるためにあります。そのことを一人一人が、心から信じることができますように。そして、神さま、イエスさまの愛を体験することができますように。
お祈りします。
「もらったの」
神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子、イエス・キリストを信じる人がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。