選び

2026/10/4(日)「集められる者、残される者」マルコ13:24~27 庄司牧師

2026年10月4日 「マルコの福音書13:24~27」
しかしその日、これらの苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天にあるもろもろの力は揺り動かされます。そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ます。そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。 (マルコの福音書 13:24-27 SKY17)

終末、この世の、この世界の終わりに何が起きるかを、小黙示録と呼ばれるマルコの福音書の十三章から共に見ています。24節にはしかしその日、と記されています。「その日」つまり神が定められた大いなる裁きの時に26節、人の子、神であるイエスがこの世界に再臨、再び来られる、ということが記されています。イエスが再臨される時には特別なことが起こります。それは24節に描写されているように、「太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、」25節、「星は天から落ち、天にあるもろもろの力は揺り動かされます。」このような天体の異常、天変地異が起こることをイエスは預言されておられます。このイエスの預言は旧約聖書にすでに記されています。それを用いて、すなわち引用されて、イエスは将来起こることを語っておられます。イエスはそれらの引用を、イザヤ書やダニエル書、ヨエル書などからされています。
イエスは、ご自身が再び来られる再臨に関して、24節で「これらの苦難に続いて」と言われました。これらの苦難とは、13章の前半に記されていることであり、すでに見て来た苦難です。
従ってイエスは、24節までに語られて来た終わりの日の前兆となる苦難と、24節から起きて来るさらに大きな苦難の前兆を明確に区別された、ということです。
24節までイエスが語られた世の終わりの前兆としては、民族が民族に敵対する。戦争の噂や実際の戦争が起こる。地震や飢饉が起こる。キリスト者への迫害が起こる。また、偽キリスト、偽預言者が多く出現する、などです。しかしそれで終わらない。それらは確かに苦難であるが、世の終わりの確かなしるしにはならない。 それは序章に過ぎない。本当の世の終わり、すなわちイエスが再び来られる再臨の直前には、天体の大変動があり、天変地異が伴う。それが、神が定められた大いなる裁きの「その日」であるとイエスは語っておられます。
「裁き」とは分けられることです。以前お話したことがあります。 何が分けられるのか?それは人類です。 イエスは27節でこのように語られました。そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。選ばれた者とは、イエスを信じるキリスト者、クリスチャンです。「地の果てから天の果てまで」とあるように、歴史と時代を貫き、また全世界のあらゆる国々においてイエスを信じた全ての人々が、イエスの下に集められる。神の選びの民が必ず集められるという強調表現です。しかし選びの民がいるということは、一方イエスの下に集められない人々がいる。選ばれなかった人々がいるということです。それがすなわち「裁き」です。イエスを信じたがゆえにイエスの御元に集められる人々と、そうでない人々がいる。そしてそのように人々はすでにイエスを信じる者たちと信じない者たちとで分けられている。この分けられること、そして分けられていることがすなわち裁きです。この裁きの描写が、マタイの福音書24章にあります。40節から42節をお読みします。

そのとき、男が二人畑にいると一人は取られ、一人は残されます。女が二人臼をひいていると一人は取られ、一人は残されます。ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。 (マタイの福音書 24:40-42 SKY17)
これはイエスが再臨される時の描写です。イエスが再臨される時は、畑にいる、臼をひいているというように、労働や食事の支度など、日常生活を人々が送っている最中、唐突に、突然イエスがやって来られる。そして一人は取られる。一人は残される。取られた人とはイエスの下に行く人です。イエスが集められる人です。そして残された人はイエスの下に行くことが出来ない人であり、イエスに集められなかった人です。イエスの再臨は突然に、しかし確実にやって来るということです。
またイエスは、再臨が確実に、そして必ず来ることを、ノアの時代にあった洪水を引き合いに出して語られています。ルカの福音書17章です。26節、27節をお読みします。
ちょうど、ノアの日に起こったのと同じことが、人の子の日にも起こります。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていましたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。人々が食べたり飲んだり、結婚生活を営んでいた時、すなわち日常生活を営んでいた時、神を信じない人々に対して、突然神の裁きが及びました。イエスはさらに、アブラハムの甥であったロトに起こったことを、神の裁きの引き合いとして語られています。続けてルカの福音書17章の28節から30節までをお読みします。
また、ロトの日に起こったことと同じようになります。人々は食べたり飲んだり、売ったり買ったり、植えたり建てたりしていましたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降って来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子が現れる日にも、同じことが起こります。
ソドムは悪徳の町とか、背徳の町と呼ばれた悪名高き町です。性的な逸脱、また不道徳から、男性であるロトにも危険が及びそうになったほどの町です。ここに住んでいた人たち-すなわち神を信じない人たちでしたが-食べたり飲んだり、売ったり買ったりと、普段の生活をしている時、突然彼らは滅ぼされました。創世記19章にその時の様子が記されています。これはノアの洪水の時の水の裁きに対して、火の裁きであると言えます。イエスは「人の子が現れる日にも、同じことが起こる」と語られ、イエスが再臨される時の裁きが、火を伴っている火の裁きであることを示しておられます。
ノアの洪水の水の裁きも、また、ソドムに起こった火の裁きも、過去、すでに起こったことです。一方イエスが再臨される時に起こる裁きは、私たちにとっては未来のことですが、神であるイエスが預言されておられるゆえ、確実にそうなります。旧約聖書に記されている預言、すなわち神のことばが、イエスの誕生や生涯、十字架において歴史的に見ても成就、実現している事実からそのように断言できます。また、イエスの弟子であったペテロは、イエスが再臨される時の裁きを、火の裁きと結びつけて預言しています。ペテロの手紙第二3:10節をお読みします。
しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。 イエスが旧約聖書を引用して語られた、再臨の「その日」に起きるであろう天体の異常、天変地異の描写と合致します。そしてそれはイエスが預言され、またペテロも預言しているように、火の裁きが伴います。この終わりの日がいつ来るかは、イエスすら知らないと言っておられますから、私たちはその日を特定することは決して出来ませんし、またどのような天体の異常や天変地異が起きるかも知る由はありません。
ただ一つ言えること。それは、主の日である「その日」「裁きの日」が終わりの日に必ずやって来るということです。
先程、イエスは旧約聖書に預言されていることを引用しながら、ご自身の再臨の前に起こる前兆を示され、また預言されたとお話しました。イザヤ書13:9,10節にはこのように記されています。背景はイスラエルに敵対し、残虐かつ傲慢な国であったバビロニア帝国への神の裁きと陥落ですが、その裁きが天体の異常、すなわち終わりの日に起こることと重ねられて描写されています。
「見よ、主の日が来る。憤りと燃える怒りの、残酷な日が。地は荒廃に帰し、主は罪人どもをそこから根絶やしにする。天の星、天のオリオン座はその光を放たず、太陽は日の出から暗く、月もその光を放たない。(イザヤ書 13:9-10 SKY17)
罪人どもとは、直接的にはバビロニア帝国の人々を指していますが、天変地異の描写が伴っていることから見て、世界の終わりに神が不信仰な人類や悪の世界全体を裁く「終わりの日(最後の審判)」のひな型(予兆)としても解釈できます。つまりこの預言の一次的な対象は古代のバビロンですが、象徴的には神に敵対する高慢な勢力、そして世界全体が裁きの対象となっています。
一方、同じイザヤ書の34:4節にも天体、そして全被造物の異変について記されています。
天の万象は朽ち果て、天は巻物のように巻かれる。その万象は枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。いちじくの木から実がしぼんで落ちるように。 (イザヤ書 34:4 SKY17)
この34章4節のイザヤの預言は、直接的にはエドムに対する神の裁きを表しています。エドム人はエサウの子孫に当たりますが、イスラエルに敵対して来ました。イスラエルがエジプトから脱出した出エジプトの際、領土の通過を拒否するなどしてイスラエルを苦しめました。また紀元前586年にバビロニア帝国によってエルサレムが破壊された際、エドムはその崩壊を喜び、逃げ惑うユダヤ人を捕らえて敵に引き渡しました。このためエドムは、「神の民を迫害し、神に敵対する高慢な人々、また国の代表格」として描かれ、神の裁きの対象とされています。エサウは、一杯の煮物のために長子の権利をヤコブに売ったり、父であるイサクから娶ってはならないと言われていた、先住民族のカナン人の女性と結婚したりしました。カナン人は多神教の偶像礼拝者たちで、性的にも堕落していたからです。つまりエドムとは、神を信ぜず、時に敵対し、肉的で自己中心的な生き方をする人々であり、国の象徴です。そのエドムが裁かれることを通して、神を信ぜず、時に敵対する全ての国々、人々への裁きが象徴的に描写されている。それがこの34:4節です。これは先程引用した13:9、10節に記されている天体の異常と共に、終わりの日、すなわちイエスが再臨される時に、日本や日本人も含む、神を信ぜず、時に敵対し、無視する国々、人々への裁きの預言でもあります。このような天体の異常、天の万象が揺り動かされるという天変地異があり、イエスが裁きのために再臨される。イエスが再びこの世界に来られます。
イエスの初臨、すなわち最初にこの世界に来て下さったクリスマスは、殆どの人がその誕生を知りませんでした。イエスの父ヨセフと母マリア、羊飼いたち、そして東方の博士たちくらいでした。イエスは小さな幼子として家畜小屋で生まれる。へりくだった誕生、ひっそりとした誕生でした。しかしそれとは全く対照的に、再び来られる時は大きな権威を有し、恐るべき審判者として来られる。イエスは26節でこのように語られています。
そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ます。これはダニエル書からの引用です。その引用されている箇所をお読みします。7:13,14節です。
私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲とともに来られた。その方は『年を経た方』のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と栄誉と国が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の者たちはみな、この方に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。 (ダニエル書 7:13-14 SKY17)
諸民族、諸国民、諸言語、世界中の人々が仕えることになるイエス・キリスト。それは父なる神から主権と栄誉と国が与えられた王であり、主権者なるお方であることが、ここに記されています。この王であり全ての国々の人々の主権者なるイエスが再びこの世界に来られる。この時はクリスマスの時の誕生の時のように、ひっそりと、また限られた人々しか知らないといったものではなく、神の臨在を表す雲と共に、すなわち神そのものの栄光と、圧倒的な力を持って再臨される。イエスご自身がダニエル書を引用しながら、神としてのご自分の姿を明らかにされました。そしてこの力強い再臨は、イエスに敵対し、イエスを信じないという人々ですら、認めざるを得ない明らかな形で来られます。この王であり、主権者なるイエスが、イエスの選ばれた者たちを集められる。27節をお読みします。
そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。
王であり、全ての国々、また人々への主権者なる神、イエスが、イエスを信じて罪赦され、神の子とされ、神の家族とされている人々、すなわちイエスに選ばれた人たちを、御許に迎え入れて下さる。イエスご自身が言及された再臨の時に起こること-選ばれた人々を集めて下さる-というイエスの預言は、それが将来成就、実現することの約束であり、保証でもあります。従ってイエス・キリストの再臨は、キリストに反逆し、キリストを拒絶する者にとっては後に残されるという嘆き悲しみの日ですが、キリストを信じ、キリストに従う者にとってはイエスの御許に集められ、救いが完成する喜びの日です。

最後に、天変地異の中で起こるイエスの再臨が、イエスを信じる人々の救いの完成であることが記されている旧約聖書のヨエル書をお読みして、本日のみ言葉の取り次ぎを終わりたいと思います。
ヨエル書 2:30~32a
わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。

祈ります
「集められる者、残される者」
今週のみ言葉 「そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。」(マルコの福音書13:27)

「節理の中の選び」

2024年9月29日(日) 主日礼拝

聖書:マルコの福音書 3章13~19節

説教:庄司牧師

賛美♪
 みつかいとともに 讃美歌21 13番

応答の賛美♪
 とらえたまえ、われらを 讃美歌21 521番

頌栄🌈
 父・子・聖霊の  讃美歌21 27番

今月のワーシップ♪
 花も  作詞作曲 MEBIG

🌈聖書引用
 新日本聖書刊行会 聖書 新改訳2017 (新改訳聖書センター)